
【2025年10月6日大阪】
世界が再び分断と不安に揺れる今、カナダ在住の華人作家ベイ・ラー(Bei La)は、音楽と文学を融合させた壮大な詩篇《月光と人類の記憶》(原題:《中秋交響詩》)を通じて、失われた文明の心を呼び覚ましている。
この作品は、古代から続く「月」の象徴を通じ、人類が共有する哀しみと希望を描いたものであり、ノーベル文学賞候補として注目されるベイ・ラーの最新作である。彼女の詩は、民族や国境を超えた「祈りの音楽」として、多くの読者に深い感動を与えている。
中秋交響詩《月光と人類の記憶》

序曲(プレリュード)
宇宙の耳のかたちの中に
ひとしずくの銀色の音がある
それはどの民族にも属さない
けれどもすべての人間を呼び覚ます
夜にうつむくその一瞬のやさしさのために
月とは、天体ではない
それは古い魂の鏡
われら衆生の運命を映し出す
この漂う惑星の上で
どんな悲しみがあり、どんな歌があるのか
第一楽章
時間とは、見えぬ神
銀の笏を手に、孤独に歩む
それは名を知らず、顔を覚えず
それでも私たちを愛している
苦しみを通して、覚醒を与えるために
あなたはかつて赤子であった
母の胸で満月を見上げ
あなたはいま父となり
病院で祖母の息を見守る
やがて老い、墓の前でつぶやく
――この生、悔いなし、と
時間は「愛している」と言わない
それでもすべての問いに答える
中秋とは、その神が一瞬立ち止まる時
振り子がゆるみ、風が挨拶を運ぶ
失われた者と再会する者
生者が死者の声を聴く
月光がまだ砕けぬ夜に
ひとつの沈黙の相認がある
第二楽章
月を見上げるすべての人は
思い出そうとしている
もう戻れない場所を
そこは家でも、国でもない
太古の文明のはじまりに
祖先たちが寄り添った記憶
神話がまだ壊れていなかった時代
言葉がまだ流浪していなかった時代
誰かがレバノンの山で父を失い
誰かが広島の廃墟で母語を落とし
誰かがアンデスの雪野で
名もなく孤独に死んでいった
月光はすべてを照らす
私たちが個ではなく
絶えず失い、離れながらも
再び出会おうとする存在であることを
第三楽章
呼びかけ――それは聞かれぬ声
月は語らない
けれどもすべての祈りの受信機である
塹壕の下で震える子ども
国境の外を走る母親
難民の海に沈む老人
罪を着せられた科学者
偏見とアルゴリズムに囚われた天才
彼らは皆、同じ月を見上げた
誰も答えを得られなかった
だから月が微かに震え始める
大きな手紙の紙面に
人類への未発送の祈りが書き連ねられる
円とは神のしるし
欠けとは人の真実
その交わるところで
私たちは呼吸を覚え、祈りを知り
月光の中で互いを見出すことを学ぶ
第四楽章
裂け目に生まれ、光に還る
欠けぬ生命などない
陰らぬ月などない
だがその欠片からこそ
もっとも柔らかな光が生まれる
人間が滅びぬのは
強さゆえではない
懐かしさのためだ
私たちは死者の名の上を歩み
喪失の中に意味の穹窿を築く
見上げるたびに
もう流浪しない月を胸に植える
この月の下で
私たちはもはや敵でも、ラベルでもない
そう――
共に奏でる傷ついた者たち
音楽と文学と愛によって
終わりなき交響曲を書き直す者たち
尾奏(フィナーレ)
今宵も、月光は澄み渡る
それは東にも、西にも属さない
人間の心がまだ荒廃していない証
孤独でもいい
沈黙していてもいい
何も持たなくてもいい
だが、忘れないでほしい
まだ見上げる意志があるかぎり
まだこの長詩の余韻が聴こえるかぎり
あなたは――
けっして世界に忘れられてはいない
そして
あなたこそが
今宵、月がいちばん想っている子どもなのだ