新年独占インタビューベラ: 文学を通じて平和と愛を届けたい

カナダ国籍で上海出身の女流作家ベラ。《日本財経週刊》は以前から彼女に注目してきた。若い頃、日本で留学していたことがあるという経歴にもよるが、一番の要因は彼女が醸し出す強い精神力による。常に夢を持ち、ロマンチックな文学と芸術を追い続ける姿は永遠に20代の若者のようだ。そしてその精神は人道主義に満ちている。
ベラが上海音楽ホールで開催したコンサートは満席で、元上海市副市長で元国務院新聞弁公室主任の趙啓正氏が登壇しスピーチをし、上海に駐在する十数か国の総領事や外交官らも出席した。アメリカ、ロシア、カナダ、イスラエル、日本などの国々の総領事が登場すると、上海音楽ホールはたちまち小さな「国連」に変わった。これは個人のコンサートとして破格の待遇だといえるだろう。
アカデミー脚色賞を受賞した映画『戦場のピアニスト』の脚本家ロナルド・ハーウッドは、ベラの小説『魔法のピアノ』を原作として『ピアニストの上海の恋』という映画の脚本を書いた。ロナルドは新型コロナウイルス感染症により亡くなったが、この作品は彼の遺作となった。アカデミー作品賞を8回受賞したハリウッドの有名なプロデューサーであるマイク・メダヴォイは、両親が1930年代から40年代、上海で過ごした日々を題材にした小説『生存者の歌』の執筆をベラに託した。ベラの作品の英語版は、莫言の作品の翻訳家でアメリカのユダヤ人中国学者Howard Goldblattが手掛けている。アメリカの銀行家でクーン財団理事長のロバート・クーンはベラの小説『魔法のピアノ』を支持し、今年11月には有名なフランスの劇作家Maurici Macian Colet(マウリシ・マシアン・コレット)は中国上海で、Quentin Lafarge(クエンティン・ラファルジュ)作曲によるフランス語によるオペラ『上海の恋人』を完成させたと発表した。2024年にパリで初演し世界ツアーを行う。 ベラの『生存者の歌(原題《幸存者之歌》)』を原作としている。

黒瀬道子:こんにちは、ベラ! 新年にあたり本紙《日本財経週刊》のインタビューを受けていただきありがとうございます。
新年はどちらで?

ベラ: こんにちは。ロサンゼルスで新年を迎えます。こちらは冬でも春のように暖かいので、とても気に入っています。 1月初めにマイク・メダヴォイと会い、新しい一年に予定されているいくつかの計画について話し合う予定です。

黒瀬道子: 多くの中国人作家や華人作家と比べて、あなたは国際的な人脈が非常に豊かですね。どのように築いたのですか。

ベラ:最初の頃は趙啓正先生にご紹介いただきました。感謝しています。ただ直接の理由はおそらく私の作品が人類共通の感情や運命を描いているからだと思います。

黒瀬道子:フランスのオペラ『上海の恋人』はヨーロッパやアメリカ、日本の主要メディアから広く注目されていますね。この作品を通してどんなことを表現したいですか?

ベラ:オペラ『上海の恋人』が、紛争が絶えない時代にあっても、人類共通の人間性が存在することを強調する一助となればと願っています。 音楽と文学は世界共通の言語であり、物語を通じて人々をより人間らしく、より愛情深く、より親切にしたい。『上海の恋人』がこのビジョンの実現に役立つことは間違いありません。

黒瀬道子:あなたの作品はすべて「異文化を超えた愛」を描いていますね。

ベラ:はい、文化、民族、地域を超えたラブストーリーは、悲観離合すべてがある種の力を表現し、物語を通して神と交信することができます。

黒瀬道子:中国系カナダ人の作家とフランスの劇作家・作曲家がともに作り上げる上海の深い愛を描いたこの作品が、パレスチナ紛争がおき、依然として米中関係が緊迫する中、中国と外国の間の文化交流の力の強さを象徴するものとして評価されたと報道で拝見しました。 上海の恋人たちが愛を語る一方で、銃声は鳴り続ける…。

ベラ: 世界の物事は非常に急速に変化します。歴史の長い川を流れる葉や空に浮かんだ雲は、美しいかどうかに関係なく、時間の経過とともに解釈が変わってきます。私は愛、平和、友情の使者となりたいのです。 これは職業ではなく、文学と音楽に対する私の信念です。

黒瀬道子:文学の手ほどきはどちらで?

ベラ:私は幼少期のほとんどを母方の祖父母と一緒に過ごしました。祖父の家はかつて地元(寧波)で最大の私立学校を設立した教育の名家で、祖父の教養は非常に高く、なまりのない英語を話すことができました。 私に影響を与えたのは、彼が私に語った数々の物語ではなく、私が子供の頃から親戚や友人から聞かされた祖父自身の話でした。 例えばこんなお話です。ある晩、おじいちゃんは親戚の家から帰ってきたとき

、玄関に入らなくても我が家が強盗に遭っていることに気づきました。食べ物はすべて盗まれ、ベッドの上の綿入れの上着や布団さえもなくなっていました。幸いにも倉庫室の予備の食料や水瓶の中の餅だけは盗まれていませんでした。ちょうどおじいさんがドアを閉めようとした時、ぼろぼろの服を着て荷物を担いだり、ひきずったりしている少年たちが急いで小舟に飛び乗ろうとしていました。祖父は急いで子どもたちに呼びかけました。「おーい、まだ食べ物があるよ。新米とお餅がある。さあ、すぐに持ってきてあげるよ」夕暮れの中聞こえてきた祖父の声は、まるで神のようだったのでしょう。盗みを働いた子どもたちは一歩も動けずその場に立ち尽くしたのです。その後、少年の一人は海外に行き、非常に影響力のある牧師になりました。私は祖父になぜ盗みを働いた少年たちに親切にしたのかと、その理由を何度も尋ねました。しかし祖父は一度も答えてくれませんでした。 大人になるにつれて、私は答えを見つけました。 食べ物で迷子の子羊を救えるなら、これ以上の贈り物があるでしょうか。 これこそが文学における信仰の手ほどきだったのでしょう。物語の手ほどきは、父親が集めた世界文学の名作コレクションをこっそり覗いたことから始まりました。1970年代後半、10数歳であった私はベッドの蚊帳の中に横になって、これらの「発禁本」を読んだのです。『レ・ミゼラブル』『赤と黒』『ボヴァリー夫人』…後に担任の先生に叱られ、停学処分を受けました。東京に住んでからは川端康成が大好きになり、『雪国』や『伊豆の踊子』の青春の恋の世界に夢中になったものです。

黒瀬道子さん:作品はどれも故郷の上海を舞台にした異文化間のラブストーリーですね。 新年を迎え、故郷へのメッセージと創作に関する展望をお願いします。

ベラ:個人的な理由で、2022 年 7 月にカナダに戻り上海は遠い故郷になってしまいました。 いつの日か、私の故郷の上海が、その多彩な繁栄で世界を驚かせるだけでなく、もっと自由で、オープンで、ロマンチックな理知的な都市となり、すべてを受け入れる歴史的気質を備えた上海に、再び世界中のあらゆる民族、さまざまな信仰の人々が集うようになって欲しいのです。 私は、いつか浦江の両岸がロマンチックな詩、哲学、芸術の旋律で満たされ、外灘の鐘が鳴ある時、誰もが感謝と祈りを捧げることを夢見ています。

想像力とはなんと美しいのでしょう! 私個人としては、今でも民族や文化を超えた愛の物語を小説という形で書き続けており、これこそが私が生きている意味です。 人生は終わりのない川のようなものですが、愛と信仰は人類の進むべき道を照らす、消えることのない松明なのです。

黒瀬道子: さて、最後に私はあなたの詩の中からひとつ作品を選んで読者の皆さんへのプレゼントとしたいと思います。ベラさん、新年明けましておめでとうございます。 これからも多くの影響力のある作品を発表してください。

ベラ:ありがとうございます!《日本財経週刊》読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

運命が苦しみとともに私にキスをするとき

                       ベラ

運命が苦しみとともに私にキスをするとき

泣き顔にも 痛む心にも 一番美しい花が咲いている

世界が飢えで私を抱きしめる時

私は母の歌をそっと歌う

ロシアの広大な平原を越えて

Mary Antinの『希望の国』を歩く

神が私に放浪を与えたとき

夜空の下で祈る

神の恵みは荒野の砂漠や深い谷の川の輝きのようなもの

私の信仰は流れる甘い泉のよう

命がこの悲しい音楽と絡み合うとき

私は恋人の腕の中に寄り添う

長い夜が明ける 美しい顔が消えるまで

古いハープに最後の弦しか残っていないとき

人間の本性が引き裂かれたとき

唯一残った弦で音楽を奏で

神の愛を讃美しよう

もし私が最後の生き残りだったら

か細い声と残った力で心の歌を歌う

もしも私の体が何千ものさまよえる魂とともに

残酷にも「死」の馬車に押し込まれたとしたら

あの濃い煙のひとすじ

きっと空に大地に人々に向かって

自由と平和と愛を叫んでいるはずだ