ノーベル賞候補作家ベイ・ラ:文学の炎は、絶望と存在の闇を照らすために

文学の使命や栄誉について語る声は多い。しかし、私にとって筆を取る行為は、深淵の縁にひとすじの光の裂け目を刻みつけることにほかならない。創作の火は、栄冠のために燃え上がるのではなく、利益のために薪をくべるものでもない。それは私の魂に沈殿する暗闇を焼き払い、絶望という凍土の上に、わずかでも真実の温度を灯そうとする炎である。

私の作品に「人道主義の光が宿る」と語る批評家もいる。しかし実際には、私の一筆一筆が、人類の絶望に向けられた手術のようなものである。『9・11 生死の結婚式』の中で、ワールドトレードセンターへ突入する飛行機を描いたとき、私は実際に友人の名前が犠牲者リストに載るのを見た。炎はニューヨークの空だけでなく、私の神経のすべてをも焼き尽くしていた。私は言葉でその炎を鎮めようとしたが、結局は灼けつくような文字だけが残った。その痛みのこもった文章は、恐怖と喪失の刻印であり、テロの証言でもある。

上海・虹口のユダヤ難民記念館には、いまも2万人の亡霊が囁いている。『生存者の歌』に描いたように、雑踏を行き交うその声は電話線の先でたゆたう。ピアノの白と黒の鍵盤が紡ぎ出す旋律は、魂の再生を告げる祈りそのものであった。

私は人間の暗黒を見つめ、その深みに沈んだ破片を拾い上げてきた。絶望の崖の縁で、救済の光を求めて。私にとっての創作とは、長い闇夜の中で篝火を守り、見えない誰かのまなざしを照らす行為にほかならない。深淵のふちで脈打つ心臓の震え、その微かな温もりを、氷のような時の荒野に残すこと——それが私の文章の本質である。

私の筆は高く掲げられるより、低く垂れ、壁の隙間に潜む呼吸や、路地裏でうずくまるぬくもりをすくい取りたい。傷だらけの魂に手を触れ、崖の下で揺れる蛍火のような良心を、暗がりの中で見つけ出したい。誰にも気づかれず、ただ見開かれたまま閉じることのないまなざしを見つめたい。そして、深淵の上にとどまる一つの星を、記し残したい。

文明の衣が暴力によってたやすく引き裂かれるとき、罪なき者たちが閉じ込められ、かつて世界貿易センターに響いた笑い声が瓦礫に埋もれていく——この世界は、あまりにも容易に、存在を不条理な暴力によって定義してしまう。私は、その「暗黒物質」の記録において、決してフィルターをかけたりはしない。真の救済とは、深淵を直視するところからしか始まらないのだから。

創作とは、焼け跡に残る未燃の炭を集めるような営みだ。金の壺を奪われたなら、私は言葉を溶かして聖杯を鋳造する。鉄の扉が帰路を閉ざすなら、私は紙の上に自由への地図を描く。清白なる者が黒牢に囚われるとき、文学の法廷だけは最後の審判を保ち続ける。鉛字に満ちたその紙片は、私の絶望の胃袋から逆流した、生命の結晶そのものである。

この燃え続ける火が、いつか私の筆が止まる日にも消え去ることはないだろう。その火が照らし出した灰色の時、その光が絶望の岩壁に残した反射の軌跡は、人間精神の洞窟に永遠の壁画として刻まれるはずだ。

『呪われたピアノ』に宿る理想と限界

私の小説『呪われたピアノ』には、数多くの欠点がある。それは人道的な文明の回復を試みる理想主義的な物語だが、その試みにおいて、歴史の複雑性を単純化する傾向は否めない。

たしかに、第二次世界大戦中に上海がユダヤ人難民を受け入れたという史実は、人間の連帯の光を象徴する。しかし当時の上海は、日本軍の占領、「孤島」としての租界、本土住民の困窮など、多層的で複雑な社会的矛盾を抱えていた。物語はそうした「歴史の皺」をあまりにも滑らかに整えすぎてしまった。

また登場人物たちも、見えない同質化の流れに巻き込まれてしまっている。『生存者の歌』では、ユダヤ難民たちはそれぞれに異なる背景を持つが、彼らのトラウマや感情は、ひとつの表現パターンに収束してしまう傾向がある。『呪われたピアノ』に登場するピアノは、魂の記憶を宿した象徴として感動を呼ぶが、その癒やしの力があまりにも強調されすぎた結果、現実における苦悩や歴史的痛苦の重層性が伝わりにくくなる面もある。象徴が過剰に「救済」の役割を担ったとき、個々の人間の葛藤や苦しみが希薄になるのだ。

文学的表現においても、作品は時に感情の直接的な噴出に頼りすぎる傾向がある。戦争の傷痕や人道の光を描くにあたって、叙情的な言語が濃密に重ねられるが、その情念はしばしば物語の流れや細部の中に自然に沈殿するには至っていない。たとえば『生存者の歌』におけるサバイバーの叫びは、文学としての含蓄や間を欠き、むしろ説明的になってしまう。繰り返される「音楽」や「救済」のイメージも、さらなる象徴的深度や拡張性を欠いたまま描かれてしまっている。

歴史的傷痕を文学の力で癒すとは、単なる称賛ではない。それは人間と時代の複雑さを正面から見つめ、深く刻まれた心の襞を丁寧に描き出す行為である。ひとつの象徴や、感情の直裁な吐露に頼りすぎず、内在する葛藤を掘り下げてこそ、文学は人類の精神的な避難所となりうる。

その意味で、文学における「裂け目」の修復には、ピアノの旋律だけでは足りない。暗闇のなかを歩む人間の足音、静かに、しかし確かに響くその存在の重みこそが、私たちを本当の希望へ導いてくれるのだ。